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【コラム】オールジャンルフォトスタジオを経営するということ

第1章:今、写真業界で起きている“細分化”の波

かつて、街の写真館といえば「七五三も、成人式も、結婚式も、なんでも撮ってくれる場所」でした。しかし今、写真業界の風景は大きく様変わりしています。SNSとスマホの普及、ライフスタイルの多様化、そして起業のハードルが下がったことにより、写真スタジオはどんどん“細分化”される方向へと進んでいるのです。

たとえば、「マタニティ専門」「ニューボーン専門」「七五三特化」「お宮参りのみ対応」など、特定ジャンルに絞ったスタジオがここ数年で爆発的に増えています。さらに副業系カメラマンが空き時間で撮影サービスを提供したり、全国チェーンの子ども写真館がリーズナブルかつ効率的なオペレーションで市場を席巻したりと、“選択肢”は格段に増えました。

このような状況下において、ユーザーの行動も大きく変わりました。「とにかく手軽に、安く、それっぽく撮れるところ」が求められる一方で、「ひとつの節目だけを切り取るスポット型の利用」が主流になっています。つまり、ある目的のために一度だけ利用されるスタジオが増え、その場限りの関係性が当たり前になっているのです。

しかし、これらの潮流がもたらしたのは“選択肢の豊かさ”だけではありません。細分化され、専門特化されたことで、「その人の人生の流れを一貫して撮影していく」という、写真が本来持っていた“物語を紡ぐ”役割が見えにくくなっているのも事実です。

また、スタジオごとにテイストや空気感が異なるため、アルバムを通して成長を見返したときに「一貫性がない」「トーンがバラバラ」「雰囲気が変わってしまって統一感がない」といった声も、実際に多く耳にします。

もちろん、専門特化型のスタジオが悪いわけではありません。それぞれが自分たちの得意領域に集中し、技術を磨き、ユーザーに選ばれる努力をしていることは素晴らしいことです。ただ、ここで一つ問いかけたいのは、「写真は本当に、単発の“イベント記録”だけで良いのか?」ということ。

成長、人生、家族――写真は“流れ”を記録してこそ意味を持つのではないか?

この問いが、次の章で語る私たちの原点にもつながっていきます。


第2章:なぜ皆が専門特化へ向かうのか?時代の空気と経済合理性

写真業界において、いま「専門特化型」のスタジオが台頭しているのには、明確な理由があります。これはただのトレンドではなく、時代の流れが生んだ必然とも言えるものです。

まず、起業や独立のハードルが劇的に下がった現代において、スモールスタートが基本戦略になったという背景があります。SNSで集客し、自宅やレンタルスペースで撮影する。必要最低限の機材と最低限の資金で開業できてしまう。だからこそ「全部やろう」とせず、「得意なジャンルに絞って」スタートするという判断は極めて合理的なのです。

また、ユーザーの検索行動やSNSでの拡散のされ方も“特化型”に有利な設計になっています。「七五三 おしゃれ 神戸」「ニューボーン アート系 姫路」など、ニッチで具体的なワードのほうが、検索エンジンやSNSアルゴリズムに刺さりやすい傾向があります。そのため、ジャンルに特化すればするほど、“指名検索”される確率が上がるのです。

加えて、働き方の多様化も大きな要因のひとつです。副業や週末起業の流れにより、「本業とは別に写真の仕事を少しずつやってみたい」「自分のペースで好きなジャンルだけ撮りたい」というカメラマンが増えました。こうした人々にとっても、オールジャンルで挑むより、ジャンルを絞るほうが無理がありません。

つまり、「専門特化型」が急増しているのは、時代の空気と経済合理性の掛け算によるもの。そしてそれは確かに、良い流れでもあります。効率的で、無理がなく、持続可能なスタイル。実際、専門に絞ったほうがクオリティ管理もブランディングもシンプルです。

しかし――。

私たち studio ate は、そんな流れを理解した上で、あえて“逆”を選びました。

効率よりも覚悟を、分業よりも関係性を、流行よりも本質を。

なぜ私たちは、時代に逆行するように「オールジャンル型」という道を選んだのか?

次章では、その背景にある「本気の理由」をお話しします。


第3章:なぜstudio ateはオールジャンルで勝負したのか?その選択に込めた哲学

「今の時代に、なぜわざわざ?」

よく言われます。合理的な時代に、なぜあえて非効率に見える“オールジャンル対応”を選んだのか、と。

確かに、ビジネスの視点だけで見るなら、私たちも専門型を選ぶべきだったかもしれません。絞ったほうがマーケティングはしやすい。システム化・効率化もしやすいし、利益率だって安定しやすい。実際、私たちも市場分析や集客戦略を練る中で、専門特化型スタジオの成功事例に何度も触れてきました。

でも、私たちは“写真を売る人”ではなく、“その人の存在をこの世に刻み続ける人”だと考えています。

だからこそ、あえて逆を行く決断をしました。効率を捨ててでも、本当に意味のあることをしたかったのです。

写真とは一過性のイベントを撮るだけの道具ではありません。

それは、その人の“人生の流れ”を記録し、未来へと受け渡すもの。

赤ちゃんが生まれ、七五三を迎え、入園・卒園し、成人し、結婚し、やがて新しい命を授かる――

その全てを、ずっと見守ることができるのが“オールジャンル型”の強みです。

そして、これは私たちの信念でもあります。

写真というものを「ただの商売」と捉えるなら、ジャンルを絞った方が得策です。

でも、もし「写真とは哲学だ」と捉えるなら、人生のすべての瞬間を撮れるスタジオでありたい。

一貫性をもった視点で、その人の人生に関わっていたい。

つまり、オールジャンル型という選択は、私たちが“ただの商売人ではない”という矜持からくるものなのです。

もちろん、リスクもあります。手間もコストもかかります。

でも、私たちはその「非効率」にこそ、未来の信頼と価値が宿ると信じています。


第4章:本質を見失わないために――「選ばれるスタジオ」より、「信じられるスタジオ」を目指して

世の中は便利になりました。

スマホで簡単に綺麗な写真が撮れ、誰もが“フォトグラファー”を名乗れる時代です。

写真館も次々と新しいサービスを打ち出し、「◯◯専門」「◯分撮影OK」「全カット即納」など、手軽さや効率が前面に押し出されています。

しかし、ふと立ち止まって考えてみてほしいのです。

果たして、それは「人の人生」を撮る態度として、誠実だろうか?

studio ate が大切にしているのは、「どんな写真が渡せるか」よりも、「この人が本当に求めているものは何か」です。

私たちが扱っているのは、ただの被写体ではなく、“人の人生の断片”です。

その瞬間の背景にある想い、関係性、時間の流れ――

そうした“目に見えないもの”に、どれだけ寄り添えるか。そこにこそ、フォトグラファーの価値があると信じています。

技術は大切です。空間づくりも、ライティングも、衣装のコーディネートも。

でも、それらは「表現する手段」であって、「目的」ではありません。

どれだけ綺麗でも、“表面をなぞっただけの写真”に、心は動きません。

私たちが目指すのは、“ずっと手元に残したくなる一枚”です。

それは、未来の誰かが見ても「あのときの気配」を感じられるような、そんな写真。

時代の流れに迎合せず、目の前の人にとって本当に意味のあるものを届ける。

それは、効率や流行とは相反するかもしれません。

でも私たちは、「選ばれるスタジオ」より、「信じられるスタジオ」でありたいのです。

第5章:私たちは「写真を撮る」のではなく、「物語を紡いでいる」

studio ate の日々の仕事の中で、私たちがいつも大切にしていること。それは、単に「写真を撮る」ことではありません。私たちが撮る一枚一枚の写真には、その人の人生の時間や、家族の物語が織り込まれていると信じています。

たとえば、七五三の写真。これは単なる記念写真ではなく、子どもが無事に育ち、家族みんなで祝える喜びの象徴です。入園・卒園の写真は、親としての成長、子どもの新たな一歩を刻むもの。成人式は、家族の手を離れ、自分の人生を歩き出す決意の証。そして結婚式――二人がこれまでの人生を経てたどり着いた、大切なスタートライン。すべてに、深い意味があり、背景があります。

私たちはこれらを「流れ」として捉えています。一枚一枚がバラバラな記念ではなく、人生の章立てのように繋がっていく、連続するストーリー。だからこそ、ジャンルで区切らず、そのすべてを記録し、表現できるスタジオであることに意味があると考えています。

また、人生のどのタイミングでも、その人が「主役」になる瞬間をきちんと描きたいと思っています。赤ちゃんの時も、母としての姿も、歳を重ねた親の姿も、すべてが尊く、かけがえのない主役です。

撮影とは、その「主役の時間」を写し取り、未来に届ける営みです。そして私たちは、その責任と意味をしっかりと背負って仕事をしています。

写真を通して「今を美しく」見せるのではなく、「未来に意味のある時間」として届ける。だから私たちは、ライティングにも構図にも、装飾にも「流行」だけでなく「背景と文脈」を見ています。

「この家族にとって、今この瞬間は、どういう意味を持つのか」
「10年後に見返した時、どんな感情が立ち上がるのか」

私たちは常にそこに思いを馳せながら、シャッターを切っています。

studio ate が選んだ「オールジャンル対応」という道は、ただ撮影範囲が広いという話ではありません。
人生という物語を、章立てで、通して描き出せるという強みなのです。


第6章:いつか未来のあなたへ

写真とは、不思議なものです。

それが撮られた瞬間には、ただの「今」かもしれません。けれど、時が経つにつれ、その写真の意味は少しずつ変わっていきます。

10年後に見返すと、そこには「忘れていた声」や「もう会えない人の表情」や「そのとき抱えていた感情」が、そっと蘇ってくる。

写真は、未来のあなたへの手紙です。

「今のあなた」が「未来のあなた」に贈る、視覚の記憶、感情の記憶、そして人生の記憶。

studio ate というスタジオの名前には、そんな思いも込められています。

私たちが撮る写真は、ただその日をきれいに残すものではありません。
私たちが大切にしているのは、「何を写すか」ではなく、「なぜ写すか」。

その家族の背景には、どんな歩みがあったのか。
その笑顔の裏には、どんな涙があったのか。
その小さな命を迎える前に、どれほどの希望や不安があったのか。

それらを“察する力”がなければ、写真はただの映像記録になってしまうでしょう。

だからこそ私たちは、「観測者であり、哲学者であり、表現者」でありたいと願っています。

studio ate が目指しているのは、誰にとっても「おしゃれなスタジオ」になることではありません。
“あなたにとっての意味があるスタジオ”でありたい。

ドライフラワーもアンティークも、背景も衣装も、私たちはすべて使います。けれど、それはあくまで脇役。
主役は、そこに写る「あなた自身」です。

おしゃれとは、表面的な整えではなく、本質を捉えること。
そして、写真とは、あなたの人生そのものを、未来に届けるための手段であること。

この考えに共感してくださる方と出会えることを、私たちは心から願っています。