【コラム】効率が良いということは本当に正しいのか

第1章:便利な世界が失ったもの
私たちは、かつてないほど便利な時代を生きています。スマートフォンひとつで地図も音楽も写真も管理でき、AIが予定を組み、アプリが人生をナビゲートしてくれる。移動手段も、食事も、情報収集も、ボタン一つで完結する。
そんな世界において、私たちは常に「効率」を求められ、「無駄を省く」ことが良しとされています。効率的であることは、合理的であり、時間の節約につながり、人生の質を上げてくれる……はずでした。
しかし、気づいている人は少なくありません。「すべてが効率的になるほどに、なぜか心が満たされない」と。
かつて、人と人の間にあったちょっとしたやりとり、遠回りでも楽しかった通学路、待ち時間にふと眺めていた風景──そういった“無駄”が、気づけば日常から消えてしまっているのです。
その結果、私たちは「時間はあるのに、記憶がない」「何かをしていたはずなのに、感情が残っていない」と感じるようになりました。
心を動かす瞬間が、少しずつ、静かに奪われているのです。
studio ateが大切にしているのは、まさにその「無駄」の中にある体験です。写真を通して残すべきものは、単なる映像記録ではなく、「その時、その人がどんな空気の中にいたか」「どんな表情を交わしていたか」「どんな光を浴びていたか」という、目に見えない感覚なのです。
無駄は、心の余白です。
余白があるからこそ、人は美しさを感じ、深く物事を味わうことができる。
そして、その余白にこそ、人生の記憶や感情は宿ります。
便利な世界が失ってしまったもの──それは、効率の外側にある、かけがえのない“人間らしさ”なのかもしれません。
第2章:人生を彩る“無駄”の正体
「それって意味あるの?」「無駄じゃない?」
現代社会において、私たちはこうした言葉に日々さらされています。何かを始めるとき、何かに迷うとき、多くの人が“意味”や“結果”を基準に判断を下すようになりました。
でも、少し思い出してみてください。
あなたの人生の中で、最も心に残っている瞬間は、果たして“意味のある”ことだったでしょうか?
道端で偶然見つけた小さな花。
手書きでもらった誕生日カード。
雨の日の帰り道、立ち寄ったカフェで交わしたたわいもない会話。
予定になかった寄り道や、特に意味のないやりとりが、なぜか何年経っても忘れられない──そんな経験、きっと誰にでもあるはずです。
studio ate の撮影でも、同じことが言えます。
完璧なポージングや、最高のライティングで撮られた写真が記憶に残るとは限りません。むしろ、ふと笑った瞬間や、髪が風に揺れたタイミング、照れ笑いの中に垣間見える素の表情。そうした“予定調和ではない瞬間”こそが、その人の人生に深く根付く記録となるのです。
効率では語れない“無駄”の中に、人間の本質は隠れています。
それは、余白であり、豊かさであり、そして贅沢そのもの。
写真を撮るという行為も、ある意味では非効率です。
その場に行き、時間をかけ、衣装を選び、光を調整し、何十枚も撮る。
でもその非効率こそが、「思い出を育てる時間」なのです。
studio ate では、ただ写真を撮るのではなく、体験そのものを届けたいと考えています。
その体験が、将来ふと見返したときに、「あの時、本当に贅沢な時間を過ごしたな」と思っていただけるように。
「無駄」を受け入れることは、「今」を味わうこと。
それは人生をより豊かにし、美しくしてくれる、かけがえのない感性です。
第3章:写真とは「無駄」の美を肯定する営み
写真とは、どこまでも「非効率」な行為です。瞬間を切り取るという一見シンプルな行為の裏には、構図を練り、光を待ち、空気を読み取り、感情の流れを感じるという、非常に繊細で時間を要するプロセスがあります。
studio ate の撮影は、「時間内に何枚撮るか」や「納品カット数」に重きを置いていません。大切なのは、目の前の人とどう向き合うか。その人の背景や今この瞬間の意味にどう寄り添えるかです。
私たちは、衣装のシワひとつにも、その人らしさが宿ると思っています。髪の毛が少し乱れていても、それがその時の空気を物語っていれば、むしろ「正解」だと感じることすらあります。
studio ate では、撮影を“体験”として捉えています。スタジオに来るまでの高揚感、衣装を選ぶときのワクワク、撮影中の空気感や家族の視線。それらすべてが1枚の写真に溶け込みます。
この「体験」にこそ、“無駄の美”が宿っているのです。効率だけを求めるなら、もっと短時間で撮影を終え、回転率を上げることもできるでしょう。でも、私たちはそれを良しとしません。写真とは、本来「時間を贅沢に使うもの」であるべきだと考えているからです。
studio ate の空間には、ゆとりと余白があります。それはただの装飾的なものではなく、「この時間を、あなたのためだけに用意している」というメッセージでもあります。そんな空間で、時間と感情をじっくりと味わっていただく——その行為こそが、私たちが信じる“贅沢”なのです。
第4章:無駄=贅沢=本質を捉える眼差し
フォトスタジオという場所は、光、衣装、小道具、空気感、時間帯——無数の要素の上に成り立っています。そのひとつひとつに妥協せず、「本当にこれがこの人にとっての最適か?」を突き詰めると、どうしても「非効率」になってしまうのです。
studio ate では、たとえば光の入り方ひとつにも細心の注意を払います。自然光を活かすために、撮影のタイミングを時間帯で分けることもあれば、衣装の質感が映えるよう背景を変えることもあります。それは、最もその人が輝く1枚を生み出すための、手間とこだわり。
撮影用の衣装も、ただ「映える」ものではなく、「その人らしさ」を表現できるかどうかで選んでいます。見た目の派手さではなく、質感やライン、肌に触れたときの感覚までを大事にする。これもまた、“贅沢な無駄”の一つです。
撮影は、すべてオーダーメイド。フォーマット化されたメニューではなく、目の前の人に対して、その日、その時間にしか撮れないものを、一緒につくっていく——それが studio ate のスタンスです。
こうした姿勢は、時代の「効率主義」とは相反するかもしれません。しかし、私たちはその「無駄」にこそ、本質があると信じています。流行や見映えよりも、「あなたの人生」にとって意味のある1枚を残したい。
だからこそ私たちは、撮影という仕事を「効率の良いサービス」としては捉えていません。studio ate の空間は、“人生の節目に立ち会うための場”であり、そこに立つ私たちは、ただの撮影者ではなく、「感情を記録する表現者」なのです。
この本質的な価値に共感してくださるお客様との出会いを、私たちは心から願っています。
第5章:“無駄”を散りばめた人生の美しさを未来へ
日々の生活は、スケジュール、タスク、期限に追われる連続です。だからこそ、意識的に「無駄」を散りばめなければ、人生の風景はどんどん乾いていってしまう。
花を飾る。丁寧にお茶を淹れる。散歩に出かける。何気ない会話に耳を傾ける。写真を撮る。
どれも、効率という視点では“無駄”な行為かもしれません。でも、そこにしか宿らない「感情」や「記憶」があると私たちは信じています。
studio ate の写真体験は、「ただの記録」ではなく、「人生の余白」に光を当てる行為です。それはまるで、目に見えない感情に名前をつけ、未来の誰かに手渡すような営み。
撮影が終わったあと、ただ納品されたデータを見るだけではなく、その時の空気や笑い声、ちょっとしたハプニングまで思い出す。そんな写真を届けたい。だからこそ、私たちは体験全体にこだわるのです。
studio ate が目指すのは、“記念日を撮るスタジオ”ではなく、“人生を味わうスタジオ”。
日々の暮らしに、意識的に“無駄”を取り戻すこと。それは、自分の人生に贅沢さと余白を取り戻すということ。写真撮影という非日常の中に、それをそっと散りばめていただけたら——
そんな想いで、今日もstudio ateは、あなたの人生にカメラを向けています。