【コラム】おしゃれなフォトスタジオとは一体何なのか

おしゃれとは何か?──定義なき感覚の核心に迫る
「おしゃれなフォトスタジオで撮りたい」──そう思って検索を始める人は多いですが、そもそも「おしゃれ」とは一体何なのでしょうか。実はこの言葉には明確な定義がありません。「おしゃれ」と一口に言っても、その捉え方は人によって千差万別。トレンドに敏感な人もいれば、ナチュラルなテイストに惹かれる人もいます。
では、「自分にとってのおしゃれ」とは何かを考えたとき、どう定義できるのでしょうか。
ここで一つの視点を提示します。それは「おしゃれとは、物事の本質を捉える力」だということ。
ファッションの世界に例えてみましょう。高級ブランドのアイテムを全身に身にまとい、華やかな見た目を演出している人がいたとします。しかしそれが「おしゃれ」かどうかは別問題。なぜなら、そこに“自分なりの美意識”や“価値のあるストーリー”がなければ、ただの「見せかけ」にすぎないからです。
つまり「おしゃれ」は、ただ装飾的であることではなく、“物事の本質に目を向けられているかどうか”に深く関係しているのです。
表面のおしゃれ vs 本質のおしゃれ──見失われがちな違い
現在、「おしゃれなフォトスタジオ」として認知されている多くの写真館では、ドライフラワーやアンティーク家具、エモい色調などが多用されています。それらは確かに視覚的に美しく、SNSでも映えやすい要素です。
ですが、それらが本当に“おしゃれ”かどうかは別の話。これらはあくまでも演出テクニックの一つに過ぎません。
studio ateでもドライフラワーやアンティーク什器・小物を用いた撮影は行います。
リアルアンティーク什器で構成した洞窟のような空間のレセプションルームは、こんな場所が姫路にあるなんて!と感動していただけます。
ですが、私たちにとってそれらは最大の武器ではなく、ただ本質に向かうための一つのアクセントにすぎません。
私たちは「おしゃれとは、スタイリングだけで成立するものではない」と強く考えています。
たとえば、背景や衣装、ライティングをいくら整えても、その人自身の存在感や関係性、時間の流れといった“物語”がなければ、それはただの“美しいだけの写真”になってしまいます。
見た目だけ整えた“空っぽな写真”ではなく、その人の内面がにじみ出るような写真こそが、本質を捉えた“おしゃれ”なのだと、私たちは考えています。
整える → 崩す → チャレンジする──おしゃれの成長プロセス
「おしゃれな人」と言われる人々には、ある共通のプロセスがあります。それは、「整える」「崩す」「チャレンジする」という3段階の進化です。
まずは基本を整えること。構図、ライティング、衣装、ポージング。これらの基礎技術や美的センスがなければ、写真の土台は作れません。
次に、整えたものをあえて崩す勇気が求められます。完璧すぎる配置や作られた笑顔ではなく、少し“間”を入れる、一瞬のまばたきや表情のゆらぎを捉える。こういった「不完全さ」にこそ、人間らしさや魅力が宿るのです。
そして最後に、新しい表現に挑戦するというステップがあります。決まった型にとらわれず、その人らしさを軸に、未知のスタイルを模索していく。
このサイクルこそが、本質的な”洒落感”を生み出す原動力となります。
応用だけでは“偽物”になる──アートと同じ写真の本質
絵画の世界でもよくある話ですが、基礎がないまま派手な色を使った抽象画を描いて「これはアートだ!」と主張する人がいます。しかし、それが本当に価値あるアートかどうかは、観る人の心を動かす力があるか、背景にどれだけの技術や思想があるかにかかっています。
写真もまったく同じです。構図や光を理解しないまま「雰囲気だけ」で撮った写真は、確かに一瞬は目を引くかもしれません。でも、数年後に見返したときに「ただの流行りだったな」と感じてしまうようでは、本質的な価値は残らないのです。
studio ateでは、写真という表現がアートにも、ドキュメンタリーにも、人生の記録にもなり得ると信じています。だからこそ、今だけではなく10年後、20年後にも価値を感じてもらえる写真を目指しているのです。
変化する写真業界と、本質を見失わない重要性
今、写真業界は大きな変革期を迎えています。スマホの進化、AIレタッチ、セルフ撮影、SNS発信……。表現手段はどんどん増え、「誰でもフォトグラファーになれる時代」になりました。
しかし、それに比例するように「表面だけ整えた写真」も急増しています。テンプレートのような構図、色味、ポージング。どれも綺麗だけど、どこかで見たことがある。
そんな写真があふれる今だからこそ、「その写真がなぜ存在するのか?」という問いが重要になってきます。何のために撮り、誰に届けたいのか。その軸がブレてしまえば、どんなに見た目が整っていても、写真は記憶に残りません。
studio ateは、写真が持つ本質的な力【「人生を変える一枚」や「未来への手紙」】のような役割を忘れずに、写真と向き合い続けたいと考えています。
本質を見抜く“感覚”と“技術”──studio ateが考えるおしゃれ
私たちstudio ateは、姫路で80年にわたり、七五三・成人式・家族写真・ウェディングなど、あらゆる人生の節目を見つめてきました。
それは一見、節操なくなんでも撮る“オールジャンル”に思えるかもしれません。けれど私たちは、「人生を一貫して見つめてきたスタジオ」だからこそ、いまの一瞬の意味を深く理解し、それに合った「本質的なおしゃれ」を提案できると考えています。
studio ateにおける「おしゃれ」とは、衣装や背景を飾ることではなく、その人がその人らしく輝ける空気をつくること。そして、その一瞬を「永く残る形」として提案することです。
世の中がどれだけ変わっても、写真の価値は「撮られたその瞬間の文脈」と「撮った人の哲学」に宿ります。私たちはその両方を大切にしながら、“目に見えないおしゃれ”を、これからも磨き続けていきます。
いつか未来のあなたへ── studio ate = 本質的なおしゃれ という約束
「おしゃれなフォトスタジオに行きたい」──そう思ったときに、見た目や流行だけではなく、「本質的な価値」を求める人たちが行き着く場所。それがstudio ateであれば、私たちはとても嬉しく思います。
ブランド物ではなく、あなた自身が持つ“美しさ”を引き出すこと。
ドライフラワーではなく、あなたと家族の“関係性”を写すこと。
整った背景ではなく、人生の“文脈”を感じさせること。
それこそが、studio ateが考える「おしゃれなフォトスタジオ」です。
写真を見返したとき、5年後、10年後のあなたが「ここにしてよかった」と思ってもらえるように。私たちはこれからも、本質を捉える力と、表現する技術を磨き続けていきます。
studio ate = 本質的なおしゃれ ──この約束が、いつか未来のあなたの心を照らすことを願って。